憧れの世代があります。自分と同年代でもなく同じ中学校、高校に通うでもなく、親世代ほどは年上ではない世代です。
見た目とか何か偉業を成し遂げたというのではないのですが精神的に大人で開放されていて洗練された考え方に強く憧れるのです。
小池真理子との出会い
「知的悪女のすすめ」でデビューした短編の名手と言われる女流作家です。このタイトルを思いつく発想がありえません。単語を持ってくるに値する才女で悪女ではありませんが、嫉妬を買うような美人です。彼女との出会いは「殺意の爪」という本でした。
母の古い友人がそんなに読書が好きならと私に何の気なしにくれた文庫本です。思えば母も母の友人もこんな素晴らしい世界を既に堪能し互いに嘆息して共鳴しあっていたのかと羨ましい気持ちで一杯です。
そろそろデビューしてもいいのではないかとはなはだ不遜な対応かと思いますがこの世界を教えてくれたことには感謝です。さて、この出会いの本ですがタイトル通りミステリーです。それも普通のミステリーではありません。
大どんでん返しが待っているのです。今ではありがちなのかもしれませんが当時の私はとにかく驚いてこんなすごいこと書ける人がいるんだ!と感動しきりでした。それから彼女の本をかたっぱしから読みまくりました。
恋のドラマ化
小池真理子の作品は初期の頃から最近のものまで好きですが世間がやっとその魅力に気付き直木賞を取ったのが「恋」という作品です。
これももちろん好きです。内容は、ある素敵な夫婦との出会いから色々な愛情表現の形があること認め合う事の意味、信頼とは、人の心の本当に繊細な部分での「揺れ」やエゴを感じ主人公が苦悩しながらも激しく烈愛というものを静かに思い出すというものです。
石原さとみ、斉藤工、ARATA、田中麗奈など豪華ギャストでドラマ化されました。みなさんそこそこよかったのですが、田中麗奈が斉藤工に出会って恋に落ちるわけですが、これは本の中でも表現されていますが、雷に打たれたように恋にまさに堕ちるシーンなのです。
何が好きとか好みとか一切なしに一瞬で惹かれあう苛烈な刻でなくてはならないのです。残念すぎました。何を言われてもここだけは譲れません。
他は、田中麗奈が石原さとみにわかってもらいたいけれどわかってもらえないだろうなという諦めとわかるまいという優越のまざった感情表現、ARATAの認め合ってきたという自信がぶれて自分の主張の矛盾を突かれた苦い経験からくる苦悩、なかなかよく(えらそう)見所満載です。
小池真理子は自分は官能小説を書きたいといっています。それは生々しく男女の絡みを書くのではなく和室の畳に無造作におかれたべっこうのくしがそれを持つ女の艶かしさを語り届きそうで届かぬ一瞬の妄想ともいえる幻想を一枚の絵画にとどめる様な表現のある小説だそうです。
「恋」のドラマ化は見た人の記憶に一枚の絵画を残すことができたのでしょうか。
小池真理子の恋愛小説とミステリー
最初にも書きましたが小池真理子は短編の名手とも言われるほど主にミステリーの技巧者です。短編でいくつも2時間ドラマなどでドラマ化されて放映されています。
私的には少しシニカルなところがあって本当に好きです。小池真理子の「恋」に匹敵する恋愛小説とミステリー小説をいくつか紹介したいと思います。
~薔薇船~
表題に負けないこれでもか!と耽美主義というか自身の美意識を追究して表現しまくった多分陶酔しながら書いた作品です。一文一文にいちいち感動しながら時間をかけて楽しむ作品です。
~虹の彼方~
どれだけ批判されようと馬鹿にされようとないといえますか?
こんな風に恋に堕ちてみたい馬鹿になってみたい、そんな欲望が。私は主人公高木志摩子に憧れました。マジックにかかっています。(笑)
~無花果の森~
なんとなくハッピーエンド、イヤミスとかではありませんが、だから無花果っていまいち人気ないんだろうなと思ってみたり、本当に私的に主人公たちの恋愛を含めた関係よりもかくまってくれた画家の女性の欲望と死にざまにドラマを感じました。
~月狂ひ~
小池真理子らしい表題に昔のサスペンスを思い出して胸躍りましたが、この頃からか特に女性の晩年の恋愛についての小説が多くなってきたような気がします。その走りでしょうがどこか「和」を思わす出だしからまさに葛きりのような、熱情とは裏腹な静謐な恋愛を描ききっている秀作でした。
~天の刻~
上記の作風になって少し経ってからの作品でしょうか。とても好きです。満たされた生活を周りも自身も自覚しているはずなのに今際の刻には記憶にもないくらいの寧ろそうなってしまったが故の恋い焦がれたもしくは、全く違った感情で魅かれた相手の名を口にする。
しかも自分ではそのことすら自覚がない。自分にもそんな存在が刻があるのかと考えて想像を楽しむことができる作品です。
~倒錯の庭~
とにかく好きです。一番好きといってもいいです。何が倒錯かというと主人公るい子が幸せに自分は悪魔だと陶酔しきっているところが果てしなく美しいのです。
年下の男との関係がプラトニックで(書かれていないだけかもしれませんが)これが官能だと勝手に納得してしまいました。いうなればこれが作品「恋」の走りで原点だとこれも勝手に判断しています。
~妻の女友達~
シニカルです。奥様は本当にこれが等価交換なのかと疑いたくなるような選択をしてまるでそれこそ生きる屍のような旦那を手に入れるわけですが、生活も環境も損得もなしに恋とか愛情を自分で脚色して手に入れるならそんな選択するわけないと考えさせられる作品です。
~モンローが死んだ日~
小池真理子の作品の主人公は女性が多いですがみんな何かに耐えることが多い気がします。
この作品の主人公は私が知る限り2番目くらいに耐え忍んでいる女性です。だからこその名言と感じたのが「妄想は自分を破壊する」というセリフです。どんな時にこのセリフを思ったのか想像するもよし探すのもよしな作品です。
~二重生活~
割と最近映画化された気がします。個人的には長谷川博巳さんははまり役な気がします。
彼が演じたような男性がいたらみんな恋に堕ちます。
まとめ
憧れの世代女性だからでしょうか。
どの作品もキャラが素敵とかではなくて、共感とか憧れが多いのは彼女がそういう人間だからなのか寄り添って表現しているからなのか何もかもが美しく感じられて気持ちよく自分が陶酔できるところが私にはまっているのだと思います。
ぜひこの世界にはまってもらいたいと思います。